日本の産業構造改革を担うとともに
健全なリターンをグローバル投資家
へ創出することで
PE業界の持続的発展に貢献したい

ロングリーチグループは2003年、代表取締役兼パートナーを務める吉沢正道氏らによって設立された独立系のPEファンド運営会社である。大企業グループの非中核事業に位置付けられる子会社や事業部門を切り出す「カーブアウト」とオーナー企業の「事業承継」をテーマに、企業価値が100億~300億円程度の企業をターゲットに投資を行い、事業構造改革による競争力の強化や海外進出などの支援を行っている。2015年から2017年まで日本プライベート・エクイティ協会の会長も務めた吉沢氏に、創業の経緯、日本のPEファンド業界の課題と展望、PEファンド活用のメリットなどについて伺った。

ロングリーチグループ
代表取締役 兼 パートナー
吉沢 正道氏

日本企業のカーブアウトを支援し
事業再編のカタリストになりたい

――最初にご経歴について伺います。もともとは住友銀行(当時)からキャリアをスタートされていますが、PEファンド業界に転じ、ロングリーチグループを設立された経緯とは。

大学卒業後、1984年に住友銀行に入行しました。銀行には7年在籍して主に投資銀行部門でM&A業務に携わっていました。その後、サンフランシスコのシリコンバレーに本社を置く投資銀行ロバートソン・スティーブンスに移り、日本に戻ってロバートソン・スティーブンス東京を立ち上げて、そのトップに就いたのが20代最後の年です。テクノロジーやヘルスケアといった主に日本のグロース企業に対して投資銀行サービスを提供していました。

ロバートソン・スティーブンスが1998年にバンク・オブ・アメリカに買収されたのを機に、モルガン・スタンレー証券に移り、テクノロジー・グループのヘッドとして投資銀行業務を担当。主に日本の大企業グループにおける、事業部門や子会社の切り出しとIPO(新規株式公開)を支援してきました。実際に手掛けた案件の中には、伊藤忠テクノサイエンス(当時)やセイコーエプソン、新日鉄ソリューションズ(当時)などがあり、最も大きかった案件としてはNECの半導体部門を切り出したNECエレクトロニクス(当時)が挙げられます。

会社のIPOは、日本企業にとって事業再編の有効な方法の1つでしたが、「本当にこれでいいのだろうか」という思いがあったのも事実です。上場させても、親会社はまだ子会社の株を持っていて、ガバナンス上も上場企業の上場子会社という位置付けが残っていたからです。そうしたときにアメリカで出合ったのがプライベート・エクイティ(PE)というコンセプトでした。

私の恩師にあたるロバートソン・スティーブンスの創設者、サンディー・ロバートソン氏がバンク・オブ・アメリカに会社を売ってからフランシスコ・パートナーズというPEファンドを始めていました。サンフランシスコのホテルでワインを飲みながら彼のアドバイスを受けるうちに、日本でもPEファンドによる投資ができるのではないかという思いに至り、2003年に仲間と組んで始めたのがロングリーチグループです。

私が考えるロングリーチグループの“一丁目一番地”は、日本企業のコーポレート・カーブアウトをしっかりとお手伝いすることです。ノンコアと言われているグループ子会社の中から、我々がお手伝いできそうな会社を引き受け、それを3~5年かけて良い企業にして、もう一度、日本の企業グループに組み入れていきます。事業再編のカタリストになることが我々の大きな使命の1つです。もう1つは、当時はまだそれほど多くなかったのですが、中堅企業における事業承継案件が昨今急増しています。中でも、成長するアジア市場への事業進出を求める中堅企業は数多く、企業のニーズや時代の要請に応える形でお手伝いしていきたいと考えています。

――ロングリーチグループという社名にはどのような由来があるのですか。

創業にあたって社名をどうするか、共同創業者のマーク・チバと2人でいろいろ考えました。ローカルでありながら、グローバルな企業をつくりたい。お客様のところに行ったときに、単に日本国内の話をするだけではなくて、アジアの成長、世界の成長を取り込んでいけるような、そんなご支援ができる会社をつくりたいという思いがあって、そうであれば、グローバルにも通用する名前にする必要があるということで、横文字の社名にしました。ちなみにロングリーチというのは航空用語で「無給油で長く飛べる」という意味があります。日本経済の再編に向けて中長期の目線でお手伝いしたいという願いが込められています。

――独立系のPEファンド運営会社を目指した理由は何ですか。

日本のPEファンド業界において、先駆者と言われるユニゾン・キャピタルの江原伸好氏やアドバンテッジパートナーズの笹沼泰助氏は、何もないところから完全な独立系としてスタートされました。それが刺激になったことが理由の1つに挙げられます。

もう1つは、私の恩師、サンディー・ロバートソンがこう言いました。「とにかく40歳までに自分の事業をつくりなさい。そのためにはアントレプレナーであれ。アントレプレナーであって初めていろいろなことができる」と。

銀行を辞めて、ロバートソン・スティーブンスに行き、その次にモルガン・スタンレー証券に移ったけれど、私の気持ちの中では、どこかで自分自身がアントレプレナーとして起業することでお客様のために貢献したいとの思いがありました。ですから、最初からどこかの傘下で始めるというのではなくて、アントレプレナーとしてゼロからつくることに憧れがあって創業したのですが、この会社をつくったのが41歳の時で、サンディー・ロバートソンからは「お前、1年遅れているぞ」と言われたものです(笑)。

――大企業グループの非中核事業に位置づけられる子会社や事業部門を切り出す「カーブアウト」をテーマにされています。大企業の中に埋もれた“原石”を独立させて磨けば、競争力が高まり、ひいては日本経済全体の底上げにもつながるといったような思いがあるのですか。

そうですね。ノンコアと言われている子会社、事業部門の中には優れたビジネスモデルや技術を持つ、良い企業がたくさんありますが、誤解を恐れずに言うと、ミスマネージされている企業も少なくありません。どうしても子会社であるため、リソースが行きわたらなかったり、ガバナンス上もゆるく運営していたり、本当はここで投資をすればいいんだけれど、投資資金が親会社のコア事業に取られてしまい、適切な施策が打てないといったことがあります。

ノンコア子会社に、我々は成長資金を投じて独立させます。資金以外にも人材など十分なリソースを供給するとともに、自分たちがアントレプレナーとして、自分たちでやっていかないといけないという当事者意識を持つことで、会社はどんどん良くなります。つまり、役職員のみなさんと同じ船に乗り、「第二の創業」を実現するのです。

我々ロングリーチグループはカーブアウト案件を中心に日本企業の競争力強化と成長力の向上に貢献し、それらを通じて日本経済、社会の発展につなげていくという信念を持っています。

業界の誕生から20年を超えて
安定成長期に入った日本のPE市場

――日本におけるPEファンド業界の歴史と概観について伺います。いつ頃から始まり、どのような変遷を経て、現在、どのようなフェーズにあるのでしょうか。

日本のPE業界は1990年代後半に始まり、先述のユニゾン・キャピタルやアドバンテッジパートナーズがその先駆者です。その後、いわゆる第二世代として2000年代前半にカーライルやKKRといった外資系が日本市場へ参入し、我々ロングリーチグループも同時期に創業しました。2000年代前半に台頭したPEファンド業界は、2007年まで右肩上がりで成長しましたが、2008年のリーマン・ショックによって市場は大きく縮み、外資系を中心にプレーヤーの淘汰が進みました。その後、世界経済の回復に伴い、PEファンド業界も復調の兆しを見せましたが、2011年に東日本大震災が起こり、日本は資本市場全体が出遅れ、業界にとっても厳しい時期が続きました。

転機となったのは2012年第3四半期の安倍政権発足です。アベノミクスが始まり、一気に金融緩和が進んで資金の流れが加速すると、PEファンドに対しても資金が再び集まるようになりました。PEを切り口に案件を創出するアドバイザリーの活動も拡大し、PEが、いわゆるニッチなソリューションから、大企業のCEO/CFOやオーナー社長にも広く使ってもらえるような企業価値向上のソリューションとなりました。これにより、大規模企業からのカーブアウトが加速するとともに、時価総額の小さな中堅・中小企業の案件も出てきたというのが2013~2015年の状況です。

現在はどうかと言うと、2016年以降、日本のPEファンド業界は安定成長期に入ったと言えます。我々を含め10~20年の歴史を持つプレーヤーが業界の中心を占め、10件、20件を超える実績を持つところが多くなっています。実際に投資を行って、投資先企業が良くなり、上場したり、再生を果たしたりといった成功事例も着実に増えています。新しい案件についてもコンスタントに入ってくるようになり、それに対して、投資家のみなさんのお金もしっかり付いてくるようになりました。いわばPEファンドのエコシステムが順調に回り始めたという感覚を持っています。

私自身も2015~2017年に日本プライベート・エクイティ協会の会長も務めましたが、先人の方々が苦労され、時間をかけて積み上げてきたものが、ようやく結実し、業界として幅広い認知と信頼を獲得したと感じています。

――日本のPE市場は、金額だけを見ると2017年が突出しています。これはどういうことでしょう。

案件金額を見るときにはぜひ気をつけていただきたいのですが、その年に1件でも超大型案件があると、そこでスパイク(金額が突出)するということです。我々の見方としては、でこぼこはありますが、超大型の案件、例えば某社が売上数千億円の上場子会社を売却したりとか、そういった案件を除けば、非常にステディに金額も案件数も増えています。ベースカーゴの中にたまたま大型案件が加わっただけで、そのノイズを除けば、市場は右肩上がりで順調に推移しているというのが私の見立てです。

――ファンドレイズの状況について伺います。最近の傾向として、投資家層が変化したり、新たなプレーヤーが加わったといった話はありますか。

振り返ると、2000年代前半は日本におけるPE投資に対する投資家の期待が非常に高まり、グローバルな投資家の資金が集まりました。同時期に立ち上げた我々ロングリーチグループの第1号ファンドも実は過半数が海外投資家でした。しかし、リーマン・ショックがあり、さらに日本は東日本大震災の影響もあって、経済の戻りが遅れる中で、“ジャパンパッシング”と呼ばれる状況に陥りました。海外投資家は成田で降りないで、香港や北京、シンガポールに行ってしまう、そんな状況です。日本はもうダメなんじゃないかということで、海外のみならず日本の機関投資家のお金さえもなかなか集まりにくい冬の時代を迎えました。

繰り返しになりますが、それがアベノミクスの金融緩和が始まり、GDP成長率も反転する中で、その時期に投資活動を行ったファンドは総じて好調なパフォーマンスをあげました。それを見た投資家が日本のPEファンドへ資金を積極的に配分し始めたのが2013~2014年ごろからです。この2012年以降のビンテージのPEファンドがきちんとしたリターンで回っていることから、日本に対する世界の投資家の見方は非常にポジティブなものに変わりました。加えて、最近では企業年金や政府系機関などの日本の伝統的な機関投資家もPEというアセットクラスに対して継続して資金を投じるようになっています。

――安定成長期に入った日本のPEファンド業界ですが、欧米のPE市場に比べるとまだまだ見劣りするのも事実です。欧米並みに活性化していくには何が必要ですか。

日本のPE市場が、対GDP比ですぐに欧米並みの規模になるかというと、そうではありません。その理由はいくつかありますが、1つは、ビジネスの慣習として、なかなか会社を売り買いするということに対して抵抗感があること。もう1つは、仮に会社の売り買いが起きたときに、企業側をきちんと支えるようなソフトやインフラが、まだまだ欧米に追いついていないことが挙げられます。

はっきり言って経営人材の流動性もたいしてなかったし、案件数自体もそこまでなかったところから着実に伸びてきたことは間違いありません。では来年、再来年どうなるのかと聞かれたら、現在の延長線上で徐々に徐々に市場は拡大していくと私は思います。

1件あたりの企業価値が10億~50億円規模のスモールキャップは、地方の事業承継を中心としてものすごく裾野が増えていますし、我々がターゲットとしているミッドキャップ(50億~500億円)のところは、事業承継とカーブアウトの双方の案件が増えています。500億円超のラージキャップ案件はたまにあるかないかといったところですが、今後はコロナ禍の影響もあいまって、大型案件が今後5年間でぐっと増えていくと私は予想しています。

従業員と向き合い信頼関係の下
いかに成長力を開花させられるか

――ロングリーチグループはこれまで3本のファンドを立ち上げ、投資先の中にはすでにエグジットを果たした企業も少なくありません。これまでの成功事例や特に印象に残っている案件がありましたら教えてください。

我々ロングリーチグループは4つのエリアを投資対象としています。1つはインダストリアルテクノロジー。製造業を中心とした日本の伝統的なモノづくり企業です。このエリアを手掛けるPEファンドは、最近では減ってきていますが、我々は力を入れるとともに得意とするところです。2つめはスペシャルティコンシューマー。特色のあるコンシューマーサービスを手掛けるB2C企業で、レストランや外食なども該当します。3つめがビジネスサービス。B2B、B2B2Cを含めた、いわゆるビジネスサービスを手掛ける企業で、日本のGDP全体が低迷する中でも堅調な伸びを示しています。そして4つめがヘルスケア関係です。我々はこれら4つのエリアの中でもミッドキャップの企業を対象に、カーブアウトや事業承継を目的とした投資を行っています。

インダストリアルテクノロジーでは、日立ビアメカニクスが挙げられます。同社は、最先端の電子機器産業を支えるプリント基板及び半導体基板の加工機とその周辺機器の製造・販売・サービス事業を展開しており、主力製品のレーザー加工機とドリル穴明機では世界でも高い市場シェアを持ちます。日立製作所グループの中でノンコア子会社として位置付けられていましたが、独立させて、人やモノ、情報(システム)など適切なリソースを供給するとともに、経営改革を推し進めた結果、グローバルなトップニッチ企業として順調な成長を続けています。

同じくインダストリアルテクノロジーでは、海底ケーブルメーカーのオーシーシーがあります。もともと産業再生機構の下にいたのですが、我々が引き取って、数年かけて再建し、グローバル展開を加速させることで、売上げを約3倍に伸ばすことができました。同社はその後NECにグループ入りし、同社の光通信システム事業の中核会社となりました。リストラを含めて生産現場の効率化を図り、コスト構造を最適化しながら、同時に海外にも打って出ることで事業再生と成長戦略の両方を実現した事例として高く評価されています。

ビジネスサービスでよく取り上げられるのが、三洋電機ロジスティクスです。同社は、三洋電機グループの物流子会社として、グループ内に向けてサービスを提供していましたが、我々が買収することで、国内では家電量販店や家電メーカー向けに3PL(サード・パーティ・ロジスティクス)サービスを提供。海外の新規物流顧客の開拓も進めた結果、当初40%程度あったグループ内向けの売上比率を、3年間で20%を切るところまで引き下げることに成功しました。

要は外販が増えたということなのですが、ビジネスサービスというのは、いかに内向きのサービス企業を引き受けて、それを外販向けに振っていくかが、カーブアウトにあたっては大きなポイントになります。

同様の事例としては、オリンパス向けにBPOサービスを提供していたNOC日本アウトソーシングを買収し、オリンパスグループ向けの売上比率を50%から20%に引き下げたケースがあります。なお、三洋電機ロジスティクスは三井倉庫に、NOC日本アウトソーシングは芙蓉総合リースにそれぞれ売却し、各社のロジスティクス事業やBPO事業の中核会社として活躍しています。

スペシャルティコンシューマーでは、プリモ・ジャパンが成功事例として挙げられます。同社は国内で非常に強いブライダルジュエリーの小売会社ですが、我々が投資をしてから中国、香港などにも新たに出店し、海外の売上げ・利益比率は3割を超えるまでに成長しました。

――成功事例に共通するポイントとは。

PEファンドによる買収というと、どうしてもコストカット云々と言われますが、それ以上重要なのは、一緒になった企業の成長力をいかに開花させるかです。

そのために重要なのは、向き合う企業の役職員のみなさんといかに腹を割って、信頼を獲得しながら話をすることができるかです。ファンドの資金が入り、外部から社長もやって来るとなると、どうしても最初は混乱してしまいがちです。実際に改革を実行するのは社員のみなさんですから、株主であるPEファンドと役職員の間には、透明性と信頼性がないと関係が成り立ちません。単純に成長戦略をつくるだけではなく、それをエグゼキューション(実行)するには、極めてソフトな要件ではありますが、透明性とお互いの信頼が不可欠です。

――ロングリーチグループとして、あるいは吉沢社長個人として今後やっていきたいことは何ですか。

我々PEファンドというのは、1つひとつの企業と向き合って、その企業の競争力を強化して、それを通じて役職員の方々が生きがいを持って働けるようにすることが重要なポイントで、その結果として、しっかりとしたリターンをあげて投資家の方々にも報いる。そうしたエコサイクルをしっかり回していくことに尽きます。

PEファンドとして、良い事例を1件1件積み上げていき、最初は“点”でしかないかもしれませんが、ここに来て“線”にまではつながりました。今後はそれをさらに広げていくことで“面”にしていき、結果的にボトムアップではありますが、日本の産業構造改革あるいは日本の経済成長を実現していきたいと考えています。

現在、我々が運用しているのは3号ファンドですが、4号ファンド、5号ファンドと継続して運用していきたいですし、我々だけではなくて日本プライベート・エクイティ協会に加盟しているファンドのみなさんの力を積み上げていったときに、今はそれがGDP対比で1%かもしれませんが、5%になり、1割になることで、結果として日本の構造改革につながるのだと思います。ですから、非連続的にドカンといこうと思わずに、ようやくここまでつないできたバトンを、向こう5年、10年、20年と地道につないでいくことが大切です。

もう1つ忘れてならないのは、我々PEファンドはファンドとして投資家のみなさんから非常に大切な資金を預かっているということです。企業年金や政府系機関などの機関投資家も多く含まれますから、国民の大切な資産をお預かりしていることになります。そこで考えなければならないことは、日本の産業構造改革を実現しつつ、それと同時に健全なリターンをあげて、投資家のみなさんにきちんとお返しすることで、アセットクラスとしてPEの認知をさらに向上させることです。日本の産業構造改革と健全リターンの創出という2つを両立させていかないと、業界の持続的な発展はないでしょう。

競争力強化や構造改革の選択肢として
もっとPEファンドを活用してほしい

――日本の経営者に向けてメッセージをお願いします。PEファンド活用のメリットや、どのような企業がPEファンドを活用すべきか、あるいは企業価値向上のために経営者がすべきことなどございましたら。

我々が企業の経営者の方とお会いした時に申し上げるのは、PEというのは、経営戦略を実行したり、企業の構造改革を行う際の大きな1つの選択肢であり、その活用について、折に触れて俎上に上げていただくことはとても意味があることだということです。かつて、ファンド(による経営支援)と言えば“ラストリゾート”であり、最終手段だよねという認識が強かったのですが、ここ10年では最初の段階からファンドの活用を検討しようという経営者が確実に増えています。

これまで以上に、企業の競争力の強化、海外市場への進出、もしくは痛みを伴う構造改革など、いろいろな場面において、経営のアクションの選択肢の1つとして、増資やM&Aと並んでPEファンドが検討されるよう尽力していく所存です。経営者のみなさんにはもっと気軽にご相談いただきたいですし、我々からも積極的に提案させていただけたらと思います。

――最後に、PEファンド業界で働きたいと考えている人に向けてメッセージをお願いします。どんな人が向いているのか、また、どのような人にPEファンド業界を目指してほしいとお考えですか。

我々、PEファンドは投資業を行っています。投資家として自分たち自身で判断を行っているわけです。アドバイザーではなく、投資家ですから、そのために必要なのは、ひと言で言うとアントレプレナーシップです。自分自身で物事を判断し、何が最適なソリューションなのかを考え、自分で実行し、結果についても責任をもって受け入れる。それをやってみたい、楽しそうだと思う人にとってはチャレンジしがいのある業界でしょう。

ですから、どういう人に目指してほしいかと聞かれたなら、アントレプレナーシップを持って働くことのできる方です。もう1つ重要なのは、やはり人の気持ちを理解できることです。人の痛みや人に対する思いやりがないと、結局は身勝手な話になってしまいます。これら2つをバランスよく持っていないと、投資先企業のみなさんと心を通わせることもできませんし、単なるお金で振り回すだけの人と思われてしまうでしょう。

――2003年に創業されて17年が経過しましたが、これまでを振り返って、良かったこと、やりがいを感じたことは何ですか。

良かったことは、自分でやってみて、いろいろな企業の再編や成長に立ち会うことができたことです。うまくいったこともあれば、うまくいかなかったことももちろんあります。いずれにせよ、結果は100%自分に返ってきます。そのダイナミズムがすなわちやりがいです。

自分自身もアントレプレナーとして17年を過ごせたことは非常にありがたいことです。支えてくれた社内のスタッフ、投資家、投資先企業のすべての人々に感謝しています。リーマン・ショックがあり、東日本大震災があり、その時々ではしんどいことも多かったのですが、それを乗り越えてここまで続けてきたことは、会社に対する誇りと頑張ってきてくれた社員への感謝しかありません。

(インタビュー日時:2020年9月2日)